しばらく彼との距離は縮まらなかったけれども、高校に上がってから、彼への印象が変わる出来事が。所属していた文芸部の企画で、太宰と寺山修司について壇上で発表することになった。寺山担当と決まった私に、太宰の発表担当者が「発表の内容を考えたいので『津軽』を一緒に読んでほしい」と頼んできた。数日かけ、放課後に代わるがわる音読した。『津軽』の最初あたり、股引を買い求めて土手町を歩きまわる太宰の描写が面白く、二人で笑った。
平成23年の11月頃だっただろうか、小野印刷所へ入社して1年以上経ったある日。前々からお世話になっていた弘前大学人文学部・山口徹先生から「太宰の地図を作りたいのです」と相談を受けた。弘前市内で太宰に関連する場所を地図にしたい、学生向けのデザインで、手描きのイラストを入れ、暗いイメージを払拭するため明るくさわやかに、というご指示。確かに太宰は自殺した文豪で、暗いイメージが少なからずまとわりついている。一度ためらう。しかし、私の中の“彼”を見つめなおすと、未だに股引を求めて土手町を歩きまわっていた。
イラストは私の友人・金澤蘭子さんにお願いし、若々しくて笑顔が魅力的な太宰をたくさん描いてもらった。当初は地図の道路なども手描きになる予定だったが、話し合いの末、イラスト以外は私がパソコンでレイアウトをすることに。山口先生のこだわりもあって、『太宰治
弘前青春散歩地図 ―官立弘高時代の街を歩く―』という素敵な地図ができ上がった。ご好意で地図の左下に名前を入れてもらい、気恥ずかしさと嬉しさでいっぱいになった。
私が弘前ペンクラブへ入会した際、会長の斎藤三千政先生に「船木さんは、あの太宰地図を作った方ですか」とお声を掛けていただいた。会長が見てくれていたとは!
と喜んだが、なんと更なる衝撃が待ちかまえていた。
ペンクラブ入会後、太宰治まなびの家を訪れた私は仰天した。かの地図の拡大コピーが掲示されている……! 知らないところでこんなに活用されるなんて。なんだか、親元を離れた子を眺めているようだった。
『太宰地図』もおかげ様で26年10月、弘前大学附属図書館のリニューアルオープンに合わせ、二刷を発行した。まなびの家で無料配布中なので、さわやかな太宰をぜひご覧いただきたい。